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Sweden Now

北欧の国、スウェーデンの情報を流していきます。北欧ブームで注目されているスウェーデンですが、イギリスやフランスなどと比べるとマイナーで、かつ日本からの直行便もないためスウェーデンの本当の姿はあまり知ることができません。「世界一美しい首都」であるストックホルム、豊かな自然、高福祉高負担な政策など、日本とは異なった性格を持つスウェーデンを現地からお伝えいたします。

SNSの情報ばかり見ていると頭がバカになる

SNSが流行った理由は二つあると思っている。一つは、人間には発信欲があること。もう一つは、簡単に投稿できることだ。ブログと、TwitterFacebookinstagramとの違いは後者であると思う。

Twitterinstagramは、140文字もしくは写真一枚と、情報を制限している。Facebookは情報は制限していないが、基本的には友人の中での情報共有なので、少ない情報でやり取りができる。

僕は、SNSに特徴的な少ない情報を見ることは、知識を得るためにも、また質の高い情報を発信するためにも有益ではないと思う。

というのは、少ない情報だと、どうしても言葉が均一化しがちなのだ。少ない情報しか発信できないことを口実に、単純な言葉で全てを表現するようになる。例えば、「この映画の世界観がすごい」とか。世界観っていったい何なんだよ。多分こういう情報を発信している人は、自分の中では詳しく説明できるのだけれど、140字しか書けないし、忙しくて時間もないから書かないと思っているのかもしれない。しかし、その時はそうであってもちゃんと言葉で説明していなければ、そのうち説明できなくなる。さらに、そういう単純な言葉ばかりの情報を見続ければ、自分だって単純な言葉しか使えなくなる。「考えさせられる文章だった。」とか。考えたのならその考えた結果を書いてよって思う。

この表現の単純化は、突き詰めていくとロボットのように感情がなくなっていくような気がする。だれかが、「あいつは悪い」というと、どういう理由で悪いのかも考えず「あいつは悪い」と思うようになる。それが2年前の安保法制を戦争法案とするデモや、ベッキースペースワールドの過剰なまでの批判を起こしているのだと思っている。

AIが発達して、国会答弁までAIで作る案が出された。そうなると、みんなAIが人間化するのではないかと心配しているが、それよりも人間がロボット化する方がよっぽど問題なのではないか。そして、現にそれが起こっているのである。情報は、新聞→テレビ→ネットニュース→ツイッターと、どんどん広く浅くなっている。そうなると、自分の意見がなくなっていくのではないかと思う。