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Sweden Now

北欧の国、スウェーデンの情報を流していきます。北欧ブームで注目されているスウェーデンですが、イギリスやフランスなどと比べるとマイナーで、かつ日本からの直行便もないためスウェーデンの本当の姿はあまり知ることができません。「世界一美しい首都」であるストックホルム、豊かな自然、高福祉高負担な政策など、日本とは異なった性格を持つスウェーデンを現地からお伝えいたします。

自殺した子の写真に関して、世間とは逆の意見をする

青森県黒岩市の夏祭り写真コンテストで、優勝した写真に自殺した子が写っていたらしい。それを受け、「不適切」と市が一旦取り下げたが、抗議が殺到して最高賞に返り咲いたらしい。

自殺した中2写る写真、一転して最高賞に 青森・黒石
みんな、「取り下げた市はひどい」と、いい子ぶった気持ち悪いコメントばかりしているから、あえて僕はその逆をいいたい。

僕はこの写真を見て、純粋に「こんなのが一位なの?」って思った。純粋に見てください。これって結構普通の写真じゃないですか?家族のアルバムだったら、一ページの引き伸ばしで載せるものかもしれないけど、そこまですごい写真ですかね。

自殺した子という情報が出ているということは、きっと親はそういう情報を載せてこの写真を送ったんですよね。気持ちはわからなくもないけど、純粋な写真コンテストにそういう感情を入れて、同情を買おうとするところがちょっと違うんじゃないかなと思う。この写真を選んだ側も、「自殺した子がかわいそうだから、一位にしてやろう」と思っていたのなら、それはやっぱり違うと思う。

これに似たことで、よく亡くなったお父さんとかお母さんのことを動画にして、facebookにして載せる人がいる。

なぜこういう人たちに、僕が嫌悪感を示すのかと言うと、そういう人たちはただ家族を大事にしている自分はいい人でしょってアピールしているようにみえるからだ。だってそう思わないとわざわざ公開しないでしょ。それに、「いいお父さんだったんだね」とかいうフォロワー。そういうフォロワーも「家族を大事にする人を賞賛する自分はいい人」というアピールしているように思えるのだ。

ただ、それだけなら別にいい。問題なのは、一方を褒めることによって自動的にもう一方を蔑むことになるということだ。例えば、今回の自殺した子の写真の件を必死に世間にアピールする親がいて、一方は自殺した子がいるがひっそりと何も語らない親。フォロワーは前者を賞賛することで、間接的に後者を蔑んでいることになるのではないか。少なくとも、後者はそう感じるのではないか。

僕は基本的に後者。僕はだれからも賞賛されたことなど無いし、逆にだれかが褒められることで僕がダメ人間であると思われてるんじゃないかという勝手な悲壮感を受けているのである。

どうしたって、あっちがたてばこっちが立たず的な状態になるのはしょうがないかもしれない。ただ、僕はそう思うのである。