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Sweden Now

北欧の国、スウェーデンの情報を流していきます。北欧ブームで注目されているスウェーデンですが、イギリスやフランスなどと比べるとマイナーで、かつ日本からの直行便もないためスウェーデンの本当の姿はあまり知ることができません。「世界一美しい首都」であるストックホルム、豊かな自然、高福祉高負担な政策など、日本とは異なった性格を持つスウェーデンを現地からお伝えいたします。

やりたいことをやる以外にない

現実にそっくりなバーチャルな世界を想像する。自分は今この地球というフィールドに降ろされ、自分を操作できる。なにをするのかは自由だが、その世界には様々なルールや障壁がある。そういう世界に降り立ったら、自分はどういう行動を取るだろうか。

バーチャルな世界であれば、今の僕よりも確実にラディカルに生きているだろう。どうせバーチャルな世界なのだから、やりたいことをやっているはずだ。たとえそれが障壁によって達成できなかったとしても、挑戦は必ずしているはずだ。

今住んでいるこの世界は、ゲームのようにバーチャルの世界なのではないかと感じる。ゲームと同じように、世界は自分が今見ている映像しか存在しておらず、自分が動いた分だけ世界が出来上がる。僕が今感じている世界には、本当は自分しか存在していなくて、あとはただ単に自分の脳が作り出した妄想なのではないか。

そう考えると、自分のやりたいことをやらない理由はない。たった1プレイしかできないゲームであれば、自分のやりたいことをやらない選択なんてないのではないか。別に自分が傷ついたとしてもどうせ死んで無くなるのだから、別に怖がる必要はまったくないではないか。むしろ、なにもせずに死ぬ人生なんて、選択する理由なんてないではないか。

例えるなら、マリオで大きな穴が前にあるとする。ダッシュでジャンプして届くかど
とこうかわからない。これで死んで仕舞えばゲームオーバーだ。その時に、飛ばないという選択肢なんてありえるのだろうか。もし飛んで穴に落ちればゲームオーバーになる。さらに飛び越えられなかったという屈辱感を味わうかもしれない。一方、飛ばずに時間切れになればやっぱり死んでしまう。しかしその場合には飛び越えられなかったという屈辱感を味わうことはない。飛び越えられたけど、飛ばなかったという自分に対しての言い訳ができるが、そんなくだらないプライドを守ったところで何になるのだ。

どんなに失敗しても良い。どうせ死ぬのだ。だったらやりたいことをやればいいじゃないか。大変だけど、楽に生きて死を待つよりもよっぽどいいではないか。